ゴッホとジャポニズム【浮世絵から受けた影響を画家が解説!】

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ゴッホによる北斎の模写 アート
ゴッホによる北斎の模写

ゴッホは日本にあこがれた…ジャポニズムに影響を受けた作品たち

印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。

今でこそ世界中の人々に愛される
印象派画家のゴッホですが、

生前は、多くの人に認められることのないまま
亡くなっていったのは、有名な話です。

ゴッホは、19世紀末に、伝統から脱却した
新しい芸術を模索したアーティストの一人でした。

そして、日本の開国とともに流れ出た日本美術にパリで出会い、
大きく影響を受けていたのです。

中でも、ゴッホの浮世絵コレクションは、
数百枚にのぼったといわれています。

ゴッホをはじめ、

ヨーロッパの同時代のアーティスト達と
日本美術はどんな関係にあるの?

ゴッホの作品は、日本美術から
どんな影響を受けているの?

こんな点を、画家の目線で解説します。

(モネとジャポニスムについての記事はこちら

ゴッホとジャポニズム 【どんな時代?】

ヨーロッパで日本ブームが到来したのは
日本が開国をした頃からですが、

印象派の画家たちがパリで
新しい芸術を模索中していたのは1860年代〜

と、ちょうど同じ時期なのですね。

1854年 日本が開国

1862年 第2回ロンドン万国博覧会に、使節団が初めて賓客として招かれる。
     イギリスの公使による日本の品も展示。

1873年 ウィーン万国博覧会に、明治政府が初めて公式に参加

1890年 パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で、
     700点以上もの作品を集めた「日本版画展」

日本の浮世絵がヨーロッパに渡り、
お金持ちの愛好家にコレクションされたり、
展覧絵が開かれたりしました。

このころ、パリに集まっていた芸術家たちは、

それまでの西洋の伝統的な表現方法を脱却し、
新しい芸術をつくりだすことを求めていました。

そこで、ヨーロッパの様式とは全く違う
日本美術と出会い、引き込まれたのです。

印象派の画家たちは、ジャポネズリーがブームのパリで
日本美術に触れ、その影響を受けていたといえるようです。

ゴッホとジャポニズム 【作品でみる】

ゴッホの作品を見ていくと、
浮世絵からの影響をが分かります。

主に、以下の3点が挙げられるかと思います。

ゴッホの作品にみるジャポニズム ①明るい色彩

A ヌエネンの牧師館
B「黄色い部屋」

A「ヌエネンの牧師館」1885年頃

B「黄色い部屋」 1888年ころ

この2枚を比べると、同じ人の作品!?と思うほどの違いがありますね。

一つには、色彩の鮮やかさ(彩度)が全く違います。

ゴッホは、画家を志したのは1878年(25歳)ころだそうですが、
しばらくは故郷オランダで活動していました。

その後、弟を頼り、また新しい芸術家の集う
パリへ移ったのが1886年(33歳)

その後、南フランスのアルルに向かったのは
1888年(35歳)のことです。

ですから、Aの絵はオランダ時代
Bの絵はアルル時代 に描かれています。

ゴッホはパリで、常連だった古美術商の家で
コレクションされていた1万枚以上の浮世絵を

心行くまで眺め・研究していたといわれます。

この短い期間にこれほどまでに、絵を変化させたゴッホ。

その中には、浮世絵との大きな出会いがあったのですね。

ゴッホが南フランスのアルルに移った理由は、
日本の浮世絵の中の明るい光、鮮やかな色彩を求めてのことだった
といわれまちなみに、下の絵1枚目は、オランダの巨匠・レンブラントの風景画(1640年ころ)
2枚目は、歌川広重の「江戸名所百景 高田姿見のはし 俤の橋砂利場」です。

同じ風景画でも、スタイルが全く違いますね。

レンブラント Landscape with a castle
歌川広重 名所江戸百景
歌川広重 名所江戸百景(1857)

西洋の伝統的な絵では、明暗と、厳格な遠近法が優先されます。

比べて広重の風景画では、
実際にそう見えたかに関わらず、鮮やかな色彩を使ったり、

画面構成も、イメージに合わせて自由にとったりといった描き方。

西洋の芸術家たちは、こんな表現方法があったのかと、
驚いて浮世絵を研究したのですね。

ゴッホの作品にみるジャポニズム ②平面的に描く

浮世絵の描き方のもう一つの特徴は、
「平面的に描く」陰影のなさです。

「ヌエネンの牧師館」を見ると明らかに、
ゴッホは陰影をつけて物の立体感を描く方法を身に着けていました。

建物の側面の壁を暗く描いて、立体感を出したり、
空の色に比べて、建物や木、地面を暗く描くことも、
西洋の伝統的な明暗法の一つです。

「黄色い部屋」のベッドを見ると、側面と前面の色の違いは、
ほとんどありません

ゴッホは作品の中であえて、「日本の版画に似せるため」陰影を取り払った
と、弟に当てた彼の手紙に書いていたそうです。

ゴッホの作品にみるジャポニズム ③大胆な構図

①名所江戸百景 亀戸梅屋敷(歌川広重)
A 名所江戸百景 亀戸梅屋敷(歌川広重)
②ゴッホによる模写
B ゴッホによる模写
③花咲く果樹園
C 花咲く果樹園(1889年)

A 名所江戸百景 亀戸梅屋敷(歌川広重)

B ゴッホによる模写

C 花咲く果樹園(1889年)

日本の浮世絵にみられる構図では、
この例で顕著なように、手前にあるものが強調されて大きく
ときに画面をはみ出し、画面を分断するように配置されます。

ゴッホは何枚もの版画を模写し、(2枚目)

その後の作品(3枚目)でも、平面的な木を、画面からはみ出すように配置する
という構図を取り入れています。

ゴッホは数百点の版画を、弟テオとともに集めていました。

ゴッホの言葉

私の作品はすべてとこかしらジャポネズリだ

ファン・ゴッホ美術館より

印象主義者はみな共通してその影響を受けている

ファン・ゴッホ美術館より

ゴッホとジャポニズム 【さいごに】

この時代の多くの芸術家たちが
日本美術の影響を受けて、作品をつくっています。

ゴッホのみならず、モネ、ドガ、ロートレックなどなど…

そして、それぞれの芸術家たちが、
自分で日本美術を研究し、
自分なりのやり方で日本美術を取り入れていました。

この時代のヨーロッパの美術作品を見るときは、

どこかに「ジャポニズム」を見つけらないかな、と
一つ視点を加えて鑑賞してみてくださいね!

(モネとジャポニスムについての記事はこちら

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