モネは日本が大好きだった!【ジャポニズムの影響を画家が解説】

こんにちは、画家の atsuko です。アートで暮らしを豊かにするヒントについて書いています。
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モネの日本橋 イギリス・ヨーロッパ
モネの日本橋

モネは日本が大好き。「ジャポニズム」に影響を受けた

印象派画家の「モネ」といえば、

美しい睡蓮の浮かぶ池の絵を
思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

この「睡蓮」は、モネが日本へのあこがれから、
自分の庭に睡蓮の池をわざわざつくり、
それを何年にもわたって描き続けた

そんな作品たちなのです。

そんなにまでも日本が大好きだった
モネの生きた時代とは、どんなものだったのでしょうか。

ヨーロッパの同時代のアーティスト達と、
日本美術はどんな関係にあるの?

モネの作品は、日本美術から
どんな影響を受けているの?

こんな点を、画家の目線でお話しします。

モネとジャポニズム 【どんな時代?】

モネをはじめ、印象派の画家たちがパリで活動していたのは1860年代~ですが、
そのころちょうど、ヨーロッパでは「ジャポネズリー」(日本趣味)がブームでした。

1854年 日本が開国

1862年 第2回ロンドン万国博覧会に、使節団が初めて賓客として招かれる。
     イギリスの公使による日本の品も展示。

1873年 ウィーン万国博覧会に、明治政府が初めて公式に参加

1890年 パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で、
     700点以上もの作品を集めた「日本版画展」

それまで鎖国をしていた日本が開国したことで、
たくさんの日本製品や美術品が
ヨーロッパに流出し始めたのです。

日本は陶磁器の産地として、多くを輸出していましたが、
そのときに、商品の包み紙として
浮世絵が使われていた
(!)ことが、
ヨーロッパに浮世絵ブームをもたらした
きっかけとされています。

なんと贅沢な話なんでしょう!

それほど、日本人にとっては浮世絵はありふれたものだったのでしょうか…?

いくら大量にあったとしても、

日本の浮世絵はたくさんの職人さんによる手刷りですから、

今の新聞紙などとは比べ物にならない

一枚あたりに手間暇が掛かっています。

「浮世絵」は「版画」ですから、

大量に刷られたすぐれた作品たちは、
ヨーロッパの愛好家にコレクションされたり、
展覧絵が開かれたりしました。

このころ、パリに集まっていた芸術家たちは、

それまでの西洋の伝統的な表現方法を脱却し、
新しい芸術をつくりだす
ことを求めていました。

そこで、ヨーロッパの様式とは全く違う
日本美術と出会い、引き込まれたのです。

印象派の画家たちは、ジャポネズリーがブームのパリで
日本美術に触れ、その影響を受けていたといえるようです。

日本美術の影響を受けた画家やアート(1850頃~)

フランスの画家(印象派) ゴッホ/ゴーギャン/ドガ/メアリー・カサット

フランスの画家(親密派) ボナール/ヴュイヤール…印象派より少し後の年代。

また、その後に続く「アール・ヌーボー」という美術様式も、
日本美術が流行った時代に生まれたもの。

アール・ヌーボーに属するアーティスト達も、
ジャポニズムの影響を色濃く受けているのです。

モネとジャポニズム 【作品でみる】

それでは、モネが取り入れた日本美術とは、
具体的にどういうことでしょう。

「印象派」とは、一般的には、

・携帯用絵の具の開発により、屋外での明るい光で描くことが可能に

・緻密にリアルに描くのではなく、点描やぼかしたタッチで、色彩や光の「印象」で描く

といった作風で知られますが、
モネの絵を見ると、浮世絵からの影響として

①日本のモチーフを描く

②大胆な構図

③独特の遠近法

④連作を描く

といったことをも取り入れているということが分かります。

モネとジャポニズム 【①日本のモチーフを描く】

モネが妻を描いた「ラ・ジャポネーズ」
モネが妻を描いた「ラ・ジャポネーズ」
歌川広重「名所江戸百景」
歌川広重「名所江戸百景」
モネ「睡蓮」シリーズより
モネ「睡蓮」シリーズより

モネの妻をモデルにした、有名な「ラ・ジャポネーズ」
「睡蓮」シリーズの太鼓橋や藤
の作品からは、モネの日本への憧れの気持が伝わってきます。

「睡蓮」を描くために、庭にわざわざ大きな池と橋を作ってしまったのですから、
モネの日本好きは相当なものだといえます。

モネとジャポニズム 【②大胆な構図】

モネ「四本の木」
モネ「四本の木」
葛飾北斎/ 富嶽三十六景 東海道程ヶ谷
葛飾北斎/ 富嶽三十六景 東海道程ヶ谷

2枚の絵を比べると、明らかな影響が認められると思います。

それまでの西洋の絵にはみられない、
画面を分断するような木の配置を、
浮世絵の影響で取り入れています。

モネとジャポニズム 【③独特の遠近法】

モネ「睡蓮」シリーズより
モネ「睡蓮」シリーズより

西洋の伝統的な描き方では、一点透視法や二点透視法により、
視点を定めて遠近感をつける方法が一般的でした。

比べて日本の浮世絵などでみられる遠近法は、
必ずしも視点が1点に定められているわけではありません。

「近くのものは大きく、遠くは小さく」といった描き方はありましたが、
理論的に行われているわけではないので、
近くのものがとても強調されている
といったことも起きています。

これは、当時の西洋の画家たちにとっては
とても新鮮な表現方法だったようです。

また、モネは例えば睡蓮の絵では、
視点を定めずに、目線を画面全体に、流動的に設定する

といった方法を取り入れています。

「ここが見どころ!ここを見て」ではなく、

「絵のどこを見ても美しい… ここもあそこも見どころ」

という構成になっていますね。

モネとジャポニズム 【④連作を描く】

モネ「積藁」シリーズ
モネ「積み藁」シリーズ
モネ「積藁」シリーズ
モネ「積み藁」シリーズ

モネは、生涯の中でいくつもの「連作」を描いています。
同じテーマや、同じモチーフを、視点を変えるなどしながら何枚も描く
ということです。

有名な「睡蓮」
「ルーアン大聖堂」
「積みわら」

などは、同じモチーフでたくさんの絵が存在します。

意外に思われるかもしれませんが、
これはモネが
北斎の「富嶽三十六景」や、広重の「名所江戸百景」をコレクションしていたことから、

同じモチーフを、いろいろなバージョンで描く」というアイディアを
取り入れたと言われています。

葛飾北斎「富嶽三十六景」
葛飾北斎「富嶽三十六景」
葛飾北斎「富嶽三十六景」
葛飾北斎「富嶽三十六景」

「連作を描く」ということそのものが
浮世絵の影響が契機になっている
ということです。

確かに、モネは他の画家に比べ、同じモチーフを繰り返し描いている画家ですね。

このように、モネはコレクションした浮世絵などを研究し、
様々に、その影響を作品に実験的に取り入れていることが分かります。

モネとジャポニズム 【ジヴェルニーに行きました】

フランスのパリから車で1時間、

モネが睡蓮の池をつくって後半生を暮らした
ジヴェルニー村の家に行ってきました。

美しい庭や室内の写真をお楽しみください!

モネとジャポニズム 【さいごに】

それまでのヨーロッパ伝統の表現方法と比べると、
文化が交じり合うことにより、

作風が変化しているのを感じられますね。

モネが、自分の目で浮世絵を見て、研究し、
自分なりのやり方で日本美術を取り入れていた

ということが、とても面白いと思います。

この時代のヨーロッパの美術作品を見るときは、

どこかに「ジャポニズム」を見つけらないかな、
という視点が加えて、

美術鑑賞を楽しんでください!

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